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宇宙論について考える-宇宙に終焉はあるのか? (1) [宇宙のロマン]

膨張し続ける宇宙ー 宇宙に終焉はあるのか

今回は、人類誕生以来の哲学的、物理学的、天文学的テーマに挑むことにしました。

タイトルは『宇宙論について考える』。

サブタイトルは『宇宙に終焉はあるのか?』です。

(少々大げさなタイトルですね...)

科学や物理・天文学に少々関心のある方なら、2011年にもっとも話題になったのは、私たちの太陽系がある天の川銀河や下の写真のUFO型銀河を始めとする無数に近い銀河が属する宇宙について、2011年の11月にサウル・パールマター(Saul Perlmutter)、ブライアン・シュミット(Brian P. Schmidt)、そしてアダム・リース(Adam G. Riess)の3博士が、””宇宙の膨張は加速し続けている”ということを科学的に実証し、その功績に対してノーベル宇宙物理学賞を授賞されたことではないでしょうか。
 

地球から1600万光年の距離にあるUFO型のNGC2683銀座(Credit: ESA/Hubble & Nasa)
1788年に発見されたNGC 2683銀座は、側面を観測できる「エッジオン銀河」であり、天の川銀河に似た構造を持っている。ハッブル宇宙望遠鏡は、コアの明るい光を受けた腕部分の微細構造をとらえている。

635056main_hubble033012_946-710.jpg

 

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すばる望遠鏡、もっとも古い銀河団を発見 [宇宙のロマン]

海外のメデイアは、日本の天文学チームが、今月24日、すばる望遠鏡ハワイ島)で、これまで観測された中でもっとも遠い127億光年の距離にある銀河団を発見したと報じています。(注:天文学チームは総合研究大学院大学の大学院生、利川潤さんと国立天文台の柏川伸成准教授たち)

同チームは、すばる望遠鏡で観測した約127億光年離れた30個ほどの銀河が密集している銀河団の分布を調査し、このうちの15個の銀河の距離を詳しく測ったところ、8個が127億2千万光年離れていることを確認しました。

すばる望遠鏡

すばる望遠鏡.jpg



下の画像をクリックすると本記事に関連する動画が見れます

127ginga.jpg



これまで最も遠かった銀河団の距離は、同じくすばる望遠鏡で見つけた126億5千万光年でした。
今回発見された銀河団は、かみのけ座の方向にあり、127億光年という距離は、約137億年前と推測されている宇宙の誕生(これも仮説ですが)から僅か10億年後に誕生した銀河の集団ということになり、今後、宇宙の構造が形成される過程の謎を解く手がかりになるとと期待されているそうです。

ちなみに、米国のハッブル宇宙望遠鏡は、地球から131億光年の距離に銀河の候補を検出したと発表していますが、正確な距離が確認されてなかった、と調査チームは述べています。


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世界に誇るシンカンセン Part 2 [日本の技術]

 「世界に誇るシンカンセン」のPart-2、今回(完結編です)は新幹線の技術などをメーンに見てみたいと思います。(Part 1をご覧になりたい方はこちらから)

 九州新幹線のつばめ(800系)

800series320.jpg

 

東北新幹線のE5系「はやぶさ」

  E5series.JPG

新幹線の技術革新

新幹線は、日本、いや、世界の鉄道史上はじめて210Km/hという高速営業速度を実現した鉄道です。 高速を達成するため、乗客の安全を守るため、そして騒音を減らすため、などなど、種々の課題・問題を克服・解決するためにさまざまな新技術が開発され導入されました。ここではその代表的なものを紹介したいと思います。

新幹線というシステムの中で、もっとも重要な安全システム… 続きを読む


世界に誇るシンカンセン Part 1 [日本の技術]

日本の新幹線の技術は世界トップ

 

とはよく聞く言葉ですが、ともすると日本人だけがもっているナショナリズム的な考えのように思えますが、1964年に開業以来、50年近く死者を出す大事故なしという事実は、新幹線が開業当初から時速200キロ以上で走る高速列車であること、地震多発の日本で運行していることなどを考えると、驚異的とも言えます。

1964年、東京オリンピックの年に開業した東海道新幹線のひかり号(0系) 0kei.jpg

 

日本の新幹線の技術力の高さの一端は、先の東日本大地震の際にも見事に実証されました。 3月11日の大地震発生時、東北地方では27本の新幹線が運行中だったにも関わらず、一つとして脱線事故を起こすことなく安全に停止したということです。 これは単なる高速列車の製造技術、走行管理システム技術の優秀さだけではなく、それらが最先端の地震警報システムと組合されたことにより成し得た結果でした。

東北新幹線の場合、列車間隔は… 続きを読む


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生命存在の可能性のある系外惑星発見される! [宇宙のロマン]

 

 NASA(米国航空宇宙局)は今月5日、2009年3月に打ち上げた系外惑星探査衛星「ケプラー」が、ハビタブルゾーンにある系外惑星ケプラー(Kepler)22bを発見したと発表しました。

 

 系外惑星探査衛星ケプラー打ち上げの瞬間(Credit:NASA)kepler1200_946-710.jpg

 
ケプラー探査機(Credit:NASA)
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  ケプラー探査機は、惑星が公転する恒星を横切る際、恒星が暗く見える現象を検出(トランジット法)することにより、地球に似た惑星を探してきました。恒星との距離が近すぎると温度が高くなり、水が蒸発してしまうため生命の存在は期待できないとされいるため、恒星から近すぎず遠すぎず、水と生命が存在できる範囲を「ハビタブルゾーン」と呼び、惑星がこの圏内に位置するかどうかを基準に観測を進めている。これまでに観測された惑星の候補は計2326個に上っています。

 

           ケプラー22bの想像図 (Credit:NASA)Kepler22bArtwork_946-710.jpg

 

今回発見されたケプラー22bは、地球の2.4倍の大きさを持ち、地球からは587光年の距離のところにあるG型恒星ケプラーの周囲を289.9日かけて回っていおり、主星から0.85AU(1億3千万Km)程度の距離を周回していて、これは太陽系に当てはめてみると、金星(0.72AU)と地球(1.00AU)のほぼ中間に相当します。

主星ケプラー22が生み出すエネルギーは太陽と比較して25%ほど小さいので、距離の近さとエネルギーの小ささが合わさり、その表面温度は、液体の水が存在するのに適度な範囲に収まっていると想像されています。また、科学者たちの見積も りでは、大気が乏しい場合で約マイナス11℃、地球のように大気による温室効果が存在していれば、平均気温は約22℃に達するとしているそうです。

 

 ケプラー22bと太陽系惑星の比較 (Credit:NASA)
Kepler22bDiagram_946-710.jpg

 

 このように、ケプラー22bの表面温度は普通の生命体が生存するのに適した温度であり、液体の形での水の存在も予想されていることから、今回の発見は地球外生命を探し続けている科学者たちにとってビッグニュースであると言えるでしょう。 ただし、ケプラー22bの密度は、もし地球に近い密度であるすると、その質量は地球の約13.8倍、表面重力は約2.4倍となるそうなので、もし、ケプラー22bに進化した大型生物が存在するとすれば、大きな引力から体を支えるため、頑丈な骨格をもつ生物であるかも知れません。

ケプラー探査機の観測チームは今年2月、ハビタブルゾーンにあるとみられる惑星の候補が54個見つかったと発表しており、このうち初めて確認されたのがケプラー22bです。候補惑星のうち48個については、今後続けて観測が行われる予定です。 今回の発見の詳細はAstrophysical Journal(天体物理学専門誌)最新号に発表されます。なお、地上から観測しやすい位置に来る来年の夏には、ケプラー22bの組成を調べるため天体望遠鏡を使って質量の計測が試みられる予定です。

参考:NASAニュースページ(英文)

 ケプラー探査機関連動画


 

ALMA電波望遠鏡

太陽系がどうやってできたのか、その太陽系がある銀河系がどうやってできてきたのか、そして我々の素となる生命の材料はどこからやってきたのか…

ケプラー探査機の調査と並行する形で、宇宙における生命存在の調査に威力を発揮することになる、と大いに期待されているのがアルマ望遠鏡です。アルマはALMAとローマ字で綴るので、最初はスペイン語やポルトガル語のalma=魂・心・精神 から取られた名前かと思いましたが、そうではなく、Atacama Large Millimeter/submillimeter Array(アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉)の頭文字から来たものでした。

 

ALMAの 直径12メートルの電波望遠鏡群(Credit:Wikipedia)alma-2.jpg


 

ALMA望遠鏡は、日本、台湾、米国、チリ、それにヨーロッパの国際共同プロジェクトであり、アンデス山脈中の標高約5000mのアタカマ高地に、高精度パラボラアンテナを計66台設置し、それら全体をひとつの電波望遠鏡として観測するもので、2002年から建設開始、2012年に完成予定となっています(一部は2011年9月より初期観測開始)。

これらのアンテナを移動して、それらの間隔を最大18.5キロメートルまで広げると、直径18.5キロメートルの電波望遠鏡に相当する空間分解能(=視力)を得ることができ、ミリ波・サブミリ波領域では世界最高の感度と分解能を備えた望遠鏡となります(観測に用いる波長帯は1cm(31.3GHz)から0.3mm(950GHz)。

アルマ電波望遠鏡は、電波天文学分野における国際共同利用施設であり、観測テーマに応じた研究計画によって天体観測研究が行える施設なのでその完成が期待されています。

 

   アタカマ高地に設置されつつあるパラボラアンテナ群(Credit:Wikipedia) ALMA-antennas-interferometry.jpg


 

VLAや野辺山ミリ波干渉計がレールを敷設しその上を移動する台車でアンテナを運搬するのに対し、ALMAの場合は道路の上をゴムタイヤを履いた台車が移動することでアンテナを運搬する(Credit:Wikipedia)

Alma_antenna_in_transit.jpg

 

 

  宇宙空間にある塵やガスは極低温であり(摂氏マイナス260度にも達する)、光や近赤外線を放射しないため、通常の光学宇宙望遠鏡で観測することはできませんが、塵やガスはミリ波やサブミリ波を放射するため、電波望遠鏡で観測することができます。今までは、技術的な困難と空気中の水蒸気の影響などを受けるため、サブミリ波での本格的な観測は進んでいませんでしたが、海抜5000メートルという高所にあるアタカマ高地ではその問題がないため、サブミリ波電波による観測が可能となります。

アルマ望遠鏡が完成し観測が始まると、宇宙ができて間もない頃の生まれたての銀河や、星の誕生や太陽系のような惑星系の誕生、有機分子などの生命に関連した物質など、可視光では見えない暗黒の宇宙が見えてきます。

 

ALMA電波観測所の位置(チリ、アタカマ高地)地図を拡大すると電波望遠鏡群が見えます
大きな地図で見る

 
ALMA電波観測所の動画


参考サイト: ALMA Observatory公式サイト

       アルマ望遠鏡(日本語サイト)

 

 ケプラー探査機の今後の活躍と、2012年からのALMA電波望遠鏡の運用開始によって、今後もさらにハビタブルゾーンに存在する地球型惑星が発見されるとともに、宇宙には生命の元(素)がどこからやって来たのかなども解明される可能性が高くなります。

 

地球生命の素は、宇宙から隕石によって運ばれてきたアミノ酸だという説もあるamiacido.jpe

 

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地球型系外惑星は、そのほとんどが数百光年という遠距離に発見されているため、もし、生命が生まれ進化できる条件を持つ惑星が発見されたとしても、人類の移住などはできませんし、もし、それらの地球型系外惑星に地球人のような知的生命がいたとしても、通信はおろか、交流もできないでしょう。

それでも、地球は宇宙で唯一、生命(知的生命を含む)が住む惑星でないことは今後の観測結果および宇宙観測技術の発達によって明らかになることだとLobyは思います。

 


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人類と香水の歴史 [歴史]

 
化学といえば

苦手な人も多いようですが

歴史をひも解いて見れば...
 

化学の進歩がソフィスティケートな香水を創りだした

いうことにたどり着くでしょう。

 
 
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ということで、今回は人類と香水の歴史についてのお話しです。
 
宗教儀式にミルラ(没薬)などを燻らせることは、古代エジプトの頃より行われていました。
ちなみにミルラはイエス・キリストの生誕時に贈られた香料の一つとされています。
また、エジプトでは乳香(フランキンセンス、樹脂の一種)など、キフィ(練香)、サフラン、ジャスミン、バラなども香料として使われていました。デオドラントや化粧クリーム、シャンプー、香水などに含まれるアロマの歴史は、そのまま人類の歴史とも言えます。しかし、香水が人間に寄って生産されるようになった背景には化学の進歩があるのです。人間が最初に香料を使ったのは、宗教儀式などの時に香りを出す薬草などを燻煙することから始まりました。

 


アルコールと水を分離する蒸留技術が14世紀に… 続きを読む


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世界最高の性能をもつレスキューロボット「T-52援竜」 [サイエンス]

 日本が世界に誇るものは、マンガ、和食、自動車、エレクトロニクス、カメラ、等々 色々ありますが、ロボット技術でも日本は世界の最先端を行っているということをご存知でしたか?

ロボットと言えば、すぐ思い浮かぶのが「鉄腕アトム」とか「鉄人28号」(世代が分かりますね[たらーっ(汗)])、または(付け足しのように...)「イヴの時間」のサミィとかゼオライマー、ガンダムetc、etc などのマンガで有名なヒューマノイド(人間型)ロボットですが、ロボットといっても様々なものがあり、組立工場などで活躍する産業用ロボットからアイボやQRIOなどのペット型、もしくはヒューマノイドロボットまであります。   

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産業用ロボットに関しては、もちろん日本は需要&生産とも世界トップです。
ちなみに、日本は世界の工業用ロボット生産量の70パーセントを生産しており、また世界で使用されている工業用ロボットの60パーセントは日本で活動しています。(資料:JETRO 日本のロボット産業の動向

ロボットと言えば誰でもすぐにヒューマノイド-人間と似た形状をした-ロボットを想像しますが、ロボットの定規は”人の代わりに作業を行う装置や人や動物のような機械”なので、必ずしもヒューマノイドでなくてもいいわけですね。 ただし、日本で生産されるロボットの中で”人や動物”に似た形状の”機械”を含む非産業用ロボットは、全体のわずか1パーセント。残りのというか、生産されるロボットのほぼすべて(99%)が産業用ロボットだそうです(地域産業調査・ロボット産業2007年データより)。

 

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  非産業用ロボットと言えば、警備ロボットとか、受付ロボットとかお掃除ロボットとかがあるようですが、それらの中で大きな注目を集めつつあるのがレスキューロボットです。これは地震や水害などの災害が起こった際に被災した人間を救助することを目的として設計されたロボットですが、阪神・淡路大震災をきっかけに、ロボットによる被災者救助が真剣に考えられるようになり、レスキューロボットの開発が始められました。

災害地での救助活動を行う(または補助する)レスキューロボットは、その他のロボットに比べ歴史は浅く、日本の場合は2000年初頭頃から本格的に開発が始まったようですが、浅い歴史にもかかわらず、実用性の高い優れたレスキューロボットがすでに生産され、すでに災害現場で活躍しているのです。 その名はテムザック社の「T-52援竜」。

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  2004年に開発されたもので、全長3.5m、重量5トンの自動走行能力をもつ大型のロボットで、6メートルの長さのアームを2本持ち、7つの内蔵カメラで作業を監視しながら、片腕で500キロ、両腕で1トンもの重さを持ち上げることができ、なおかつ細かい作業もOK。操作は人が乗り込んで直接操作する方法と、遠隔操作の2方法があるので、近づくのが危険な災害現場などの場合でも、操作員にとって危険のない場所(最大400m)から操作装置に映しだされる画像を見ながら操作できるというメリットがあります。さらにカメラは夜間でも遠くを撮影できるCCDカメラであり、暗い中でもライトで照らし、障害物の奥に閉じ込められている要救助者を発見できます。

中越沖地震で被害を受けた地域で瓦礫の撤去作業を行う「T-52援竜」 enryu-02.jpg

全国消防救助技術大会における援竜のデモンストレーション動画


 
援竜の遠隔操作デモンストレーション動画


「T-52援竜」は、2本アームがあるため、一本で瓦礫を持ち上げて支えながら、もう一本で救助者を救出するというようなこともできるほか、救急車両が通れるように瓦礫を取り除いて道を造ったりすることも出来ます。
援竜は、テムザック社が北九州消防局と消防研究所の協力を得て開発されたものですが、その背景には”災害現場では年間2000人近くの消防隊員が死傷している。また、どんなに訓練された隊員でも危険と直面する被災地では最高20分しか救助作業を行えない”という、実際に救助現場で救出作業にあたる消防隊の抱える深刻な問題を解決 or 軽減する目的があったそうです。

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株式会社テムザックの紹介サイト:人とロボットの安全で快適な共存社会を創出する―株式会社テムザック

 
  現在のところ、援竜が実際に配置されているのは北九州市の戸畑消防署だけだそうですが、今回の福島原発の事故などを見て、世界に誇るロボット技術をもっている日本は、もっと真剣にこの最先端技術を救援・リスク作業等にいつでも投入できるように体制を整えるべきだと思います。
残念なのは、日本の企業はロボットに関しては最先端のアイデアと技術をもちながら、実現化に必要な開発費(莫大な資金が必要)の不足という問題に直面しているということです。信じられないようなことですが、日本では”実績のない未知の(化学開発)領域に対しては、「前例がない」と開発費の援助を(政府関連官庁)から拒否される”というのです。ちなみに、テムザック社の援竜はすでに外国も大きな注目をしており、シンガポール、デンマーク、英国などが共同研究・開発の提携や現地法人設立などの形で資金援助をしているそうですが、日本政府がぐずぐずしていると貴重な最先端技術は外国に移転してしまいかねません。

 


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2つの太陽をもつ惑星発見-Star Warsの世界にそっくり? [宇宙のロマン]

  「スターウォーズ」の世界に出てくる2連星をもつ惑星が発見されて話題となっています。

NASA(米航空宇宙局)とSETI(地球外生命探査チーム)は、白鳥座の方向にあり地球から200光年離れたところにあるケプラー16が2連星であることを発見しました。 NASAが2009年3月に打ち上げた系外惑星探査衛星「ケプラー」は、惑星が恒星の手前に来ることで起きるわずかな減光を検出する手法(トランジット法)で惑星の存在を検知します。
ケプラー16も、この方法で惑星が発見された恒星の1つで、SETIのローレンス・ドイル(Laurance Doyle)氏たちのチームが、惑星が手前に来るタイミング以外でも減光が起きていることに気づき、この星がお互いの周りを回る連星であることが判明、その報告が米科学誌サイエンスに発表されました。

周連星惑星ケプラー16bと2連星のイメージ図
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 Image Credit: NASA/JPL-Caltech/T. Pyle

2つの太陽をもつ惑星と言えば、「スター・ウォーズ」でルーク・スカイウォーカーやアナキン・スカイウォーカーの故郷として出てくる「タトウィーン」(Tatooine)が有名ですが、そのような周連星惑星は実存することが証明されたわけですね。




連星の周りを回る「周連星惑星」の存在は、理論的には何十年も前から予測されていましたが、確実に発見されたのは今回が初めてだそうです。 天の川銀河に存在する恒星の多くは連星系を成していると考えられていますが、ケプラー16bのような周連星惑星が発見されたことにより、単独星だけでなく連星の周りにも系外惑星があることが今回の発見で確かめらたため、系外惑星の数量は予想以上に増えることになりそうです。
2つの恒星の前を横切るケプラー16b
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(c)AFP/NASA/JPL-Caltech/R. Hurt  

 

 ケプラー16は、連星同士、そして中心星と系外惑星の両方が、地球から見て重なるような軌道をもつという、観測する側(ケプラー宇宙望遠鏡)にとってはたいへん好都合なケースであり、今までに様々なデータが観測されています。

 ケプラー16の中心星は、それぞれ太陽の0.7倍と0.2倍程度の質量しかない小さな太陽で、お互いの周りを41日周期で回っています。
さらにその周りを229日の周期で回る惑星ケプラー16bは、ガスと岩石が半々の土星サイズの惑星であり、中心星からの距離は太陽から地球までの距離の0.7倍程度、ちょうど太陽から金星くらいの距離ですが、中心星が太陽より小さいため生命が存在するには低温すぎると思われています。なので、タトゥーイン星に出てくるサンドピープルジャワズは住んでいそうにありませんね。(スターウォーズに関心のある方は、Lobyの「スターウォーズの世界」をご覧になってください♪)

ルーク・スカイウォーカーの故郷タトウィーンと2つの太陽(映画スターウォーズより)sw_tatooine-2f641.jpg


 今回の観測結果発表について、「スター・ウォーズ」を製作したルーカスフィルムのジョン・クノール(John Knoll)氏は、「科学的発見は時として想像を超えるものです。こうした発見が、これから様々な作品にインスピレーションを与え、想像以上の世界に思いをいたす可能性を広げてくれます」とコメントしているそうです。ちなみに、2012年6月にはアマチュア天文家にもケプラー16が観測できるようになるとか。

ただし、SETIのローレンス・ドイル氏は、ケプラー16bの大きさと太陽(ケプラー16)からの距離から判断して、この惑星に地球型の生命が存在する可能性は小さいとみられています。2つの太陽を持つ惑星は、今後1~2ヶ月の期間内にほかにも見つかる予想だそうです。

ケプラー16bと太陽系惑星の大きさ比較
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ケプラー宇宙望遠鏡
 
ここで少し、おさらい的にケプラー宇宙望遠鏡について見てみましょう。
ケプラーは地球を周回する軌道ではなく、太陽を中心として地球の後を追いかけるような軌道を取る(地球追尾太陽中心軌道)。これは、観測対象の星が地球に隠れてしまうのを防ぐとともに地球からの迷光を避けるためである。太陽光の影響を避けるため、望遠鏡は黄道面から離れたはくちょう座の方角だけを向く予定である。
 
ケプラー宇宙望遠鏡のイラスト
 FlightSgmntBodypointLbld.jpg
 
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ケプラー宇宙望遠鏡の目的は、惑星系の構造と多様性を探ることにあり、具体的には、多数の星の明るさを測定することによって次の点を明らかにすることである。

(1)さまざまなスペクトル型の星について、ハビタブルゾーン内に地球型惑星やより大きな惑星がどれくらい存在するのか探査する。
(2)太陽系外惑星の軌道の大きさや形を決定する。
(3)連星系に惑星がどれくらいあるのかを推定する。
(3)公転周期の短い巨大惑星(ホットジュピター)について、その軌道、光度、惑星の大きさ、質量、密度に関する知見を得る。
(4)既に惑星が発見されている恒星について、さらなる惑星の発見を行う。
(5)惑星系を持つ恒星の性質について研究を行う。
 
 ホットジュピターオシリスのイメージ図
419px-Osirisplanet.jpg
 
 惑星の軌道が中心の星と視線上偶然重なり食を起こす確率は、恒星の視直径を惑星の公転軌道の直径で割った値に比例する。太陽のような星の周囲を軌道半径1天文単位で地球型惑星がまわっていた場合、食を起こす確率は0.47%、1/210である。もし軌道半径が0.72天文単位(金星の公転軌道と同じ)場合、その確率は0.65%とやや大きくなる。惑星が複数存在する系の場合、それらの惑星は同じ軌道面を取ることが多いため食を起こす確率はより大きくなる。例えば、宇宙人がケプラーのような宇宙望遠鏡で地球による食を観測できたとすると、12%の確率で金星が起こす食も観測できることになる。
現在の技術では、ケプラーは地球型惑星を発見する可能性が最も高いミッションである。ケプラーは10万個の星を一度に観測することができるため、惑星による食を検出できる可能性もその分大きい。さらに、1/210の確率で地球型惑星の食を観測できるということは、すべての星が地球型惑星を持っていると仮定した場合、ケプラーは480個の地球型惑星を発見できる計算になる。これと実際に検出される地球型惑星の数を比較することで、地球型惑星が存在する確率を推定することができる。ケプラーによって得られるデータは、さまざまな種類の変光星の研究、特に日震学を多数の恒星に適用するためにも有用である。(以上、NASAケプラーミッションのウェブサイトからの引用)
 
少々説明が専門的になりましたが、要約すると、ケプラーのおかげで系外地球型惑星が発見される確立はぐんと向上したということです。2009年から観測をスタートしたケプラーは、観測史上初の地球型系外惑星ケプラー10bの発見(2011年1月)、288個の地球型惑星の発見-うち5個はハビタブルゾーンにある-(2011年2月)、そして今回の連星ケプラー16の周連星惑星としてケプラー16bを発見しています。
 
初の地球型系外惑星ケプラー10bと地球との比較図
800px-Kepler10b_artist.jpg
800px-Exoplanet_Comparison_Kepler-10_b.png
 

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「果てしなき流れの果てに」とタイムトラベル [日本のSF作品]

ここだけの話しですが、私は古きよき時代のSFファンです。

まあ、そんなことはこのブログのスタイルを見れば一目瞭然なのですが...
幸いにも、私は日本のSF全盛時代を生きることができた人間の一人で、そのことをたいへんな幸運だと思っています。
日本のSF作家で一番好きなのは小松左京、二番目が平井和正、それから筒井康隆でしょうか。

平井和正の作品では初期の「狼男(ウルフガイ)シリーズ」とか「幻魔大戦シリーズ」などが面白かったのですけど、後期になると作品スタイルが次第にオカルトぽっくなってしまったので読むのをやめました。
筒井康隆作品では「メタモルフォセス群島」とか「家族八景(七瀬シリーズ3部作)」が好きですけど、ハチャメチャ的な感じで面白い「脱走と追跡のサンバ」という作品もありますね。

小松左京の作品は、読んでないのがないほど買って読みましたが、映画化された『日本沈没』や『復活の日』なども面白いけど、小松作品の中でやはり本格的なSFらしいSF作品と言えば、『果しなき流れの果に』ではないでしょうか。SFは、なんといっても大宇宙を舞台に縦横無尽に活躍する、というのがSFの原点のような気がします。この原点に復帰して大ヒットをしたのが『スターウォーズ』ですね。

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『果しなき流れの果に』は時間テーマSFで、1965年に『SFマガジン』に掲載後、単行本として出版された作品ですが、あまりにもスケールが大きすぎるので今まで映画化されていませんが、恐らく未来永劫にわたって映画化されないのではないか、と予想します。ヘタにハリウッドなどで陳腐なSF映画化されるとSFファンの夢を壊してしまいますから、小松ファンの私としては永遠に映画化などして欲しくないというのが本音です...

この作品のあらすじは、中世期白亜紀にはじまり... 続きを読む


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偉大な女性科学者 マリー・キュリー [人物]

 国連は今年がマリー・キュリーのノーベル化学賞受賞から100年目に当たることから、2011年を「世界化学年」(International Year of Chemistry:IYC2011)とすることを決めました(2011年はまた、国際純正・応用化学連合(IUPAC)が設立されて100年にも当たります)。それにちなみ、今回は日本ではキュリー夫人の名前でよく知られているマリー・キュリーの生涯について書くことにしました。 

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マリー・キュリー(Marie Curie 1867年11月7日~1934年7月4日)は、ポーランド、ワルシャワ生まれの物理学者・化学者。ポーランド語の呼び名はマリア・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie)。一般的にはキュリー夫人の名前で知られている。放射線の研究で、1903年に女性としては世界で始めてノーベル賞を受賞(物理学)。また1911年にはノーベル化学賞も受賞。パリ大学初の女性教授にも就任している。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による。

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幼少期

マリー・キュリーは1867年11月7日にポーランドのワルシャワで5人兄弟の末っ子として生まれました。 生まれた時の名前はポーランド語名でマリア・サロメ・スクウォドフスカ(Maria Salomea Skłodowska)であり、父ブワディスカ・スクウォドフスキは下級貴族階級出身で、ペテルブルク大学で数学と物理を教える科学者であり、母ブロニスワバ・ボグスカも同じく下級貴族階級出身で、女学校(ボーディングスクール)の校長をしていました。なお、父方の祖父ユゼフも物理・化学の教授であり、マリア・サロメは科学者・教育者を育成するのに恵まれた環境の中で育ちました。 マリアは幼少の頃から聡明で、4歳の時にはすでに姉の本を朗読できたそうです。それに記憶力も抜群でした。 当時、ポーランドはウィーン会議にて分割され、事実上ロシアの支配下にありました。ロシアは当然のように、ポーランドのインテリ層を監視し、反ロシア運動を常に警戒していました。 マリアが6歳の時、父親が密かに講義を行っていたことが発覚して職と住居を失い、さらに母親も結核で身体を壊してしまいました。貧窮した一家にさらに悲運は重なり、1874年に一家はチフスに罹り、長姉ゾフィアが亡くなり、ついで1878年には母親が結核で亡くなっています。14歳のマリアは深刻な鬱状態に陥り、母に倣ったカトリックの信仰を捨て、不可知論の考えを持つようになったといわれます。

マリア・サロメ・スクウォドフスカ(16歳)
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パリでの苦学と青春

  マリアは1883年6月に、ギムナジウムを優秀な成績(金メダル受賞)で卒業しましたが、当時、女性には進学の道は開かれていなかったため、住み込みの家庭教師などをしてしていた時に、非合法の”さまよえる大学(別名ワルシャワ移動大学)を知り、そこでさらに勉学を進めます。
この時期にマリアは、彼女の父方の親戚筋に当るゾラフスキ家の長男でワルシャワ大学で数学を学んでいたカジュミェシュと知り合い、恋仲となり結婚を考えますが、カジュミェシュの家族の反対でできませんでした。失意のマリアはその後も家庭教師をしながら、農工博物館の実験室で科学研究の技能習得に努めます。
1890年、すでに結婚してパリに住んでいた姉から、パリで一緒に住むようにとの誘いを受け、翌年の10月、マリアはパリに移り、ソルボンヌ大学(現在のパリ大学)で物理、化学、数学を学び始めます。ソルボンヌ大学は、当時、女性でも科学教育を受講することが可能な数少ない教育機関の一つだったのです。そしてこの時に名前をマリアからフランス語風読みのマリーに変えました。
しばらく姉夫婦と一緒に住んだ後、勉学に専念するために7階建石造りアパートの屋根裏部屋を借りて引っ越したマリーは、昼は大学で学び、夕方はチューターを務める一日を送っていましたが、チューターをして得られる給金などたかが知れたもので、生活費に困り3度の食事もろくに取れず、暖房も無かったため寒い時には持っている服をすべてを着て寝るというような苦労を重ね勉学に励みました。ある時は栄養失調が原因で倒れて、医師である義兄の面倒になったこともありましたが、努力の甲斐あって1893年には物理学の学士資格を習得しました。実はこの年は、貯蓄が底をついたこともあって大学での勉強を一度は諦めましたが、同郷の学友たちがマリーのために奨学金を申請したおかげで勉学を続けることができました。

 

マリア・スクウォドフスカが学んだ頃のソルボンヌ大学

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 学士号習得後、マリーはフランス工業振興協会の受託研究を行い、わずかながらも収入を得るようになりましたが、相変わらず屋根裏部屋の質素な生活を続け、そんな状況の中でも貯蓄し奨学金を全額返済しています。
また、この時期にマリーは将来の夫となるピエール・キュリーと知り合います。マリーが工業振興協会からの受託研究に必要なスペースをもつ場所を探していた時に、その場所を提供してくれるかも知れない人物としてピエールを紹介してもらったのです。

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