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略史-ブラジル日本移民の歴史 (後編) [歴史]

(前編はこちらから)

ブラジル文化への適応と第二次世界大戦

 この時期、日本人植民地はサンパウロ州のノロエステ(北西部)方面に次々と建設されていった。また各地の植民地には移民子弟の教育を目的とした、初等学校が建設され始めた。(注:帰国に備え、主として日本語教育に力をいれた。)1918年には日系で初めての小学校教師が誕生した。隈部姉妹で、リオ・デ・ジャネイロの師範学校卒だった。また1923年には日系で最初の歯科大学卒の歯科医が誕生した。しかしながら、この東洋のエキゾチックな移民たちの増加は、ブラジルの社会に新しい問題の渦をもたらすことになる。


サンパウロ州奥地に伸びるノロエステ線沿いに
次々に日本人植民地が誕生した
noroeste.gif



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略史-ブラジル日本移民の歴史 (前編) [歴史]

 ブラジル日本移民の歴史は1908年6月18日、最初のブラジル移民船、笠戸丸がサントス港に到着した時に始まった。 笠戸丸は神戸港から出航、52日間の航海の後781名の農業契約移民と12名の自由移民たちがサントス港に到着した。彼らは希望と成功の夢を胸に抱いて、言語、習慣、気候のまったく違う国に着いたのだった。

移民前史


日本は1908年に最初の移民をブラジルへ送りこんだが、最初にブラジルの土地を踏んだ日本人は彼らではなく、1773年に日本沿岸で暴風雨のため遭難し、長い漂流のあとロシア領のアリューシャン列島アンドレヤノフ諸島の小島にたどり着き、島民に助けられた若宮丸乗組員の生存者たちだった。若宮丸の乗組員たちはイルクーツクで8年間すごしたあと首都ペテルスブルゴに連れて行かれ皇帝アレクサンドル一世に謁見した。 若宮丸生存者のうち4人は皇帝の計らいで日本へ送還されることになり軍艦2隻で出航した。ロシア軍艦は航海途中で暴風に遭遇、一隻が破損したため1803年の12月20日にブラジルのデステーロ港(現在のサンタ・カタリーナ州フロリアノポリス市)に修理のため寄航し翌年の2月4日まで滞在した。この4人の日本人は当時のブラジル人の生活や農業などの貴重な記録を残している(注:環海異聞)。また、若宮丸の乗組員の後にも1867年の開陽丸のリオ寄港等、幾人かの日本人が笠戸丸移民の前にブラジルを訪れている。
日本人移民が正式にブラジルに受け入れるにあたって、まず最初に必要なのは日本とブラジル両国間の国交銃率であった。 国交樹立に向けての正式な両国の折衝は1880年11月16日、清国との通商条約締結の帰途、日本に立寄ったブラジル海軍のアルトゥール・シルベイラ・ダ・モッタ少将(後のバロン・デ・ジャセグァイ)と日本外務省の間で日伯通商条約について話し合われた。しかる後、1895年11月5日には日伯修好通商航海条約が締結され、フランスのパリで日本側全権曽弥荒助とブラジル側全権ガブリエル・トレード・ピザ・エ・アルメイダによって正式調印され、1897年に相互の公使館開設となった。


ブラジル移民のはじまり

kasatomaru.gif
サントス港の笠戸丸

 両国間における協定締結準備中の1892年10月5日、ブラジル政府は法令第97条を発令し日本及び中国からの移民受け入れを承認した。

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人類と香水の歴史 [歴史]

 
化学といえば

苦手な人も多いようですが

歴史をひも解いて見れば...
 

化学の進歩がソフィスティケートな香水を創りだした

いうことにたどり着くでしょう。

 
 
perfum.jpg
 
 
 
 
ということで、今回は人類と香水の歴史についてのお話しです。
 
宗教儀式にミルラ(没薬)などを燻らせることは、古代エジプトの頃より行われていました。
ちなみにミルラはイエス・キリストの生誕時に贈られた香料の一つとされています。
また、エジプトでは乳香(フランキンセンス、樹脂の一種)など、キフィ(練香)、サフラン、ジャスミン、バラなども香料として使われていました。デオドラントや化粧クリーム、シャンプー、香水などに含まれるアロマの歴史は、そのまま人類の歴史とも言えます。しかし、香水が人間に寄って生産されるようになった背景には化学の進歩があるのです。人間が最初に香料を使ったのは、宗教儀式などの時に香りを出す薬草などを燻煙することから始まりました。

 


アルコールと水を分離する蒸留技術が14世紀に… 続きを読む


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知られざる南アメリカ解放の歴史 [歴史]

   サブタイトル: 南アメリカ諸国独立の影の立役者

  
南アメリカの地図を見ると、

一見、アフリカ大陸の地図のようにゴチャゴチャと十数ヵ国があるのが分かります。


s_america1.jpg


ここでちょっと南米を構成する国々とそれぞれの国で使われている公用語を見てみると


                 国名                公用語  
              アルゼンチン (Argentina) スペイン語
              ウルグアイ (Uruguay)    スペイン語
              エクアドル (Ecuador)     スペイン語
              ガイアナ (Guyana)      スペイン語
              コロンビア (Colombia)    スペイン語
              チリ (Chile)             スペイン語
              パラグアイ (Paraguay)    スペイン語
              ペルー (Peru)          スペイン語
              ベネズエラ (Venezuela)   スペイン語
              ボリビア (Bolivia)        スペイン語
              スリナム (Surinam)      オランダ語
              ブラジル (Brasil)        ポルトガル語



上記リストを見て一目瞭然なように、スペイン語を公用語としている国が11ヵ国もあるのに対して、ポルトガル語を公用語としている国はたった一国、ブラジルだけしかありません。

注)オランダ語を公用語とするスリナムやフランス語が公用語のフランス領ギアナ(Guyane française)なども存在しますが、
  それぞれの言語を使用する住民数は南アフリカ全体の住民数から比較して極めて少ないので今回のテーマーからは除きます。

gengoken.jpg



このように、南アメリカ大陸に圧倒的にスペイン語を公用語とする国が多いのは、その昔、スペインがコンキスタドール(スペイン語で「征服者」の意味)を数多く送り込んだから、スペイン語の国が多いんだな”と思われた方は残念ながら間違っています。
それを説明するためには、なぜ南アメリカ大陸の半分を占めるブラジル一国だけがポルトガル語なのか、という話から始めなければなりません。


1807年のフランス・ナポレオン軍のポルトガル侵略から... 続きを読む


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